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京都の記録

京都の記録

京都

京都に来て1月と半分が経つ。それは転職して同じ期間経ったということである。すべての労働はくだらない。仕事でアレができるようになって自信がつきました成長しましたとか抜かすやつらは圧倒的にこれがわかってない。そしておっぱいは至高だ。僕たちにそれ以外語ることがあるのだろうか。世界はおっぱい以外のことばかり意気揚々と語るような、悲しいやつらに満ち溢れている。

 

おっぱいを触る方法は2つだ。金を払うか痴漢をするか。当然僕は後者を支援する。痴漢によって達成されてしまえば、僕がこれ以上言葉を費やす必要は無い。警察に捕まろうが裁判官に小槌でぶん殴られようがそんなことはどうでもいい。世間様などクソくらえだ。痴漢ができない人間は金を払っておっぱいを触ってる。世界の真理。無数の如来が口をそろえてそう叫んでいる。しかしおっぱいは無償でなくてはならない。金の切れ目がおっぱいの切れ目、ソ連崩壊後に加速した資本主義に僕は真っ向から対抗する。

 

僕はよりおっぱい様にお近づきになるために仏像や寺について語る。つまり仏像や寺について語ることは痴漢することとイコールなのだ。この論理がわからないやつは自分を蒙昧と思え。わかるやつは脳外科にいったほうがいい。

 

 

仏教の開祖は仏陀サンスクリット語(注1)でガウタマ・シッダールタ。紀元前5世紀、北インドのシャーキャ(注2)で生まれる。父は国のラージャ(注3)、母は隣国の貴族。母はコンビニ(注4)で息子を産んだ。脇の下から出てきては、天上天下唯我独尊と叫んだ。コンビニで生んだよろしく、母は7日後にお隠れになるが、息子は家庭教師や家政婦がつけられ、ビンビンと育つ。16歳にて結婚、子供を生み、なにひとつ不自由ない人生を送っていた。しかし彼は老人とか死者とか病人とか「自分がそうなりえる存在」について考え出し、「私がAでなくBかもしれない」平行世界の概念にとり憑かれたのだ。(続く)

 

注1 インド語派。現在は22あるインドの公用語のひとつ

注2 ヒマラヤ山麓

注3 王のこと。巨大な権勢を持つとマハーラジャという。

(参考)印度でいちばん大金持ちは ラジャ ラジャ マハラジャー 銀の孔雀の羽からとった ラジャ ラジャ マハラジャー 夢からさめない クスリを飲んで 千年 長生き するそうな(福田三月子)

注4 ルンビニである